とある土木女子の日記

ブラック企業や日常のアレコレをつづる日記です。好きなものは旅と猫。

やりがい搾取

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ブラック企業に馴染みのある私には、身近な言葉。

支払うべき対価を「やりがいのある仕事だから」と支払わない。

逃げるは恥だが役に立つ」で広まりましたな。

   

「やりがい」やら「ありがとう」の言葉で無料で残業させたり、仕事の材料を自分で用意させたり、経営者はうっはうはだわね。。。

ブログとかみてると、建設業に限らず和民とかすき家の飲食店、介護とかもそんな感じなのかな。医療のその気があるみたいだけど。

 

「ありがとう」の言葉で疲れが飛ぶ?

社畜マインドな同僚とは合わないと主張したように、私はありがとうはいらんから金を出せと思う。「ありがとう」の言葉がやりがいという人たちには下記に見られる特徴がる。

 

国家資格だから仕方ないという妄想

休日に研修やら勉強会やらある職種の方々はこういう、「国家資格を持つ者の責任」としてやらなければいけない。

時給や給料が一般の仕事と違って高いのは、専門職だからであってその勉強に土日があてられるのはプロとして当然という考え方だ。

 

これが10年勉強しても受からない人がいるとかの難関資格の人が言うなら「そうだね、国に何人もいない貴重なお方だから仕方ない」と思ってしまいそう。

実際には、普通の人や平均以下の人が多かったりする。何度も言うように国家資格はピンきりである。

お馬鹿さんに「これはすんごい資格だよ、だから日々学び続ける必要があるんだ」といって労働をボランティアにしてしまえばこんないいことはない。

ついでに「私は特別なんだ」とカモを洗脳することができる。

 

やりがいはおまけ

仕事の対価は金であり、「やりがい」は働いてる側が勝手に解釈する事だ。

それを経営者が、やりがい与えてるんだからお金はいいよねっていう詭弁で使っていることが悪いのだけど利益を上げるためにある程度の搾取は仕方ない。

 

働く側にしても経営者側にしても、仕事は金のためというシンプルな理屈なのだけど、儲かってない産業に入ってしまえば入ってしまうほど搾取されるだろうか。

 

やりがい搾取の好きな人、嫌いな人

仕事の特別感や国家資格に洗脳されがちな貧乏人ほど、やりがいを餌に無償労働したがる。

私もそういう時期はあったけど、だんだんと「やりがい>金」から「金>やりがい」へとシフトした。国家資格奴隷たちをみて、うっすら目が覚めてくるのだ。

 

ただ仕事なんて、程度の差はあるけど普通に誰でもできる事だし、自分がやりたくない事をほかにやらせてるってことだもんな。

やりがい搾取が好きな人は今後も、「代わりの利かない大事な仕事なんですぅ」とドヤっては土日も勉強会でーとか妙なマウンティングをし続けるのだろう。

搾取されるのが好きな奴隷は奴隷でいいんだけど、私みたいなやりがいで搾取されることを好まない人間にその思考を同調させようとするのは勘弁だな。

 

もちろんその分野がすきで勉強したいっていうのなら、ぜんぜん趣味になるのでいいのだけど。

心のどこかで「嫌だな」って思ってる搾取活動を人に勧めるのはいけないと思う。ボランティアは好きな人だけでやってちょうだい。

そういうもの好きに名前を与えるなら、「やりがいマウンティング」といったところか。

 

ちなみに私はやりがい搾取は嫌い派で、他者から押し付けられた「やりがい」は洗脳だし、自分で勝手に思うものがやりがいで金に換えるものではないと思う(´・ω・`)