【断捨離】年賀状は出さない
そもそも年賀はがき自体、買わない
昔は関わりのある人間には全て年賀状を手書きで書いていた。また、特に仲良しだと年賀状出し、かつメールでも送っていた。
「昔からこれが礼儀だから」
「出してくれてるのに返事しないのは礼儀知らず」
とか思っていて、本心では仕方なくやっていたことが年賀状のやりとりだ。
いま思えば「勝手にそういう迷惑な手紙送りつけられて返事しなくてはいけない」という謎の文化だわ。自分から出したいなんて思ってなかった。
やりとりしてた当時
しばらく会ってなかった友達の近況が分かって便利だなとか新年でも挨拶して改まった気分になる! と思って、年賀状は必要なものなんだと自分に言い聞かせてた。
実際に私の心境はこうだった。人によると思うけど、今の私は会った時に誠意があれば白々しいハガキなんて要らない。
どうして、めんどくさいなぁと義務感だけで要らない手紙を新年早々送りつけ合うのか意味が分からない。
年賀状を出さなくなったきっかけ
幼馴染2に村八分にされたりとか、年末年始も激務★だったとか(営業メールとかは別)で自分の事に集中してたのが数年ぐらい続いた。
気が付けば、実家と幼馴染1から年賀状が来てるだけという謎な状況になった。
来る枚数がぐっと減ったというのと、忙しくなったから返事を書かなくなった。翌年から送ってこない人は、私には出すのを辞めたのだと思う。
この当時から、自分の名義のみでマンション借りたり、実家の借金をなぜか私が返済してたので、心の持ちようが変わってきた。
「私、一人でやってくからもういいかな。今までやりとりしてたけどめんどくせ」
「連絡取るのは仕事がらみだけで営業のみにしよう」
「別にこの人たちが元気だろうが結婚出産しようが興味ねぇし」
究極的に追い込まれて忙しいと、自分にとって不利益でしかない事には自然に興味がなくなるのだ。
まぁ、もともと持っていた想いが、激務で明らかにされただけだったようだけど。
年賀状は心がこもってるとか・礼儀のあいさつとかいうけど、自分にとっては不利益しかないので断捨離するつもりでやってたわけではないけど、きがついてたらしてた。
年賀状を出さないメリット3つ (私観)
そんなこんなで、年賀状を書かなくては!と思ってたけどやめてみたメリットを考えてみた。
① 無駄な時間、がかからない。
② 無駄なお金、がかからない。
③ 無駄な精神的負荷、がかからない。
※年賀状のやりとりが大好き!って人は知らんけど、合理性を求める人には不向きじゃない?とは思う。仕事の人なんて年明けたらどうせ合うんだし。
①無駄な時間
読む:新年早々から、特にかかわりのない人の子供のドアップや定型文、家族写真など大して面白みのない文面(時にはマウンティング含む)を読まざるを得ない。
年次の挨拶なので、そこまで面白い話なんて誰も持ってないのだけど。
書く:当たり障りのないかつ好意的な文章をすべてに対して送る(返信する)。
②無駄なお金
ハガキ代:一枚は今52円か?それでも多く出したら結構な出費じゃないかな。
10人で520円、100人で5200円。プリンターでやるにしても印字してあるハガキ買うにしても元の52円+αでかかってるはず。
③無駄な精神的負荷
年賀状のやりとりさえしてなければ、「返事をかかなくちゃ!」「この日までに出さないと元旦までに届かない!」「この内容(返事)で良いのかな」などの煩わしい心配をしないで済む。
何で顧客でも大事な人でもない(場合によってはマウンティングしたいだけ)DMについて感情を犠牲にせねばならぬのだろう?
手紙自体は別に好きだ
連絡事項なんて要件が伝達できればいいんで、LINEかスカイプでええわ、とまでは思わない。
旅行に出た時に綺麗な絵葉書があったら、お気に入りの相手には送るし、子供の写真も実家のジジイとババアは狂喜乱舞する写真だろうと思うので送るだろうけど。
まぁ年始のあいさつだからと言って、他人にわざわざ社交辞令する書面のやりとりは必要ないと思う今日この頃。
一回辞めよう!と決意したらあとは楽になった。時間だ金だとはいえ、いまは書く余裕もある。
しかし、いったん「やり取りをカットする」時期を経て、送らなくなる、もらっても目を通すだけとなった。昔だったら「礼儀知らず!」「季節のあいさつなのに!」と思う行動が出来ている。
やっぱり、私はどうでもいい人の家族・子供の写真とか、どうでもいいと思う。
※同僚・後輩や上司の一家物は、わぁみんな同じ顔!とか面白いこともあるのでたまにはOKな気も。
何より強制される雰囲気があるので年賀状文化には参加致しません(`・ω・´)キリッ